潮嶽神社
-うしおだけじんじゃ- (ごんげんさま)
由緒
火闌降命 海幸 山幸の争の時、満潮に乗り磐船(頑丈な船)にてお着きになった。そこでこの地を潮嶽の里といい、ここに宮居をお立てになり、年久しくご統治されたと伝えられている。御鎮座は口碑によれば神武朝の頃と伝えられ、世々の領主、地頭、藩主、更には広く一般庶民により崇敬されたでである。また藩政時には社録が付され、毎年大祭には 太刀一口 並びに 幣帛が供せられた。明治維新の後は 神饌幣帛料供進神社に定められた。
社殿
現本殿は、天保三年、飫肥藩主伊東公の寄進による造営で、流れ造り、三方高欄にて極彩色を施し、組み物並びに唐獅子等の彫刻は雅麗である。
本殿、拝殿、祖霊舎には伊東家の庵木瓜、九曜の紋所をいただいている。
祖霊舎
拝殿の彫刻
本殿の彫刻